リーマンショックに影響をうけた内定取り消し世代が1つ上の先輩達でした。
わたしにとって就職活動は、少ない求人で、なおかつ内定取り消しを受けた1つ上の学年も混じってのサドンデスバトルでした。
やりたいことや、憧れの職業なんかはさておき、片っ端から説明会へ登録をするために授業中ですら携帯を片手に一喜一憂していました。そもそも会社説明会ですら人数制限が設けられており、スタートラインに立つ前から競争が始まっていたのです。
友達に就活状況を聞くのも気が引ける、本当になんとも言えないピリピリと、キリキリと、カリカリとした時期でした。
わたしは学生時代に宅建を取得していたので、大手不動産仲介会社に運良く拾ってもらえました。
実際に仕事が始まってみて思ったのは、「理不尽だな」ということでした。
何もわからないのに怒られるのは理不尽だ。
電話を全部取らなきゃいけないなんて理不尽だ。
書類不備の営業マンの尻拭いをするためにパシリになるなんて理不尽だ。
そんなことを考えながら、今日頑張れば明日は休みだ、今日頑張れば明日は所長が会議でいない、ボーナスまで頑張ってそれから辞めるか考えよう、と1日が過ぎて行くのを耐えていました。
仕事になれて、先輩とも仲良くなってきたころに、自分が理不尽だと感じていたことが、先輩にとっても理不尽だったろうなと思うようになりました。
仕事には時期によってやらなければならない事が決まっています。それぞれに締め切りの日が必ずあるわけです。その締め切りに間に合うように時間を配分してやらなければならないのに、新人のわたしのせいで先輩は、教育に時間をさいたがために理不尽にも残業せざるをえなくなり、ちょっと注意しただけで理不尽にも嫌われて、使えない新人の尻拭いのために理不尽にも仕事が増えたわけです。
それなのにも関わらず、孤立しないように毎日きちんと声をかけ続けてくれた先輩には感謝です。
だからこそ毎日通えた、そしてそれが結果的に仕事を覚えて行くことに繋がったと思います。
わたしの中で
仕事=先輩との日々
と言えます。
暇すぎて掃除に徹していたときも、トラブルが起きたときも、失敗して焦ったときも、所長がキレている時も、いつだって先輩と仕事をしていました。
先輩がわたしのために我慢してくれたことが、どれだけあったのかはわかりませんが、そのおかげでせっかく苦労して入った会社を数ヶ月で辞めることなく、出産を機に円満に笑顔でお別れすることができるまで楽しく働くことができ、とても幸運なことだと思っています。
転職nendo×はてなブログ 特別お題キャンペーン #しごとの思い出